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Agreement という発想

同意、合意、承諾、という意味ですが、これをお互いに取り交わすという文化が日本には希薄なように思えます。

何故? 最近のニュース、「築地の見学中止」です。

海外からの観光客がセリの最中、マグロに触れたり、フラッシュたいて写真をとったり、食べモノを持ちこんだりで、セリの仕事にさしつかえると。

せっかく東京の名所として海外観光客の人気スポットになったのに、築地市場側も苦渋の決断だったと聞きます。

それなら何故もっと最初からルールで取り締まらないのでしょう。

厳しい態度をとらず曖昧なまま事を進めて、それが自分たちの都合に適さないから「中止」という思考はいかにも日本的です。

察することを期待しているんですね。

もし築地と同じものがアメリカにあったら、それを見学するにあたり見学者には一通の紙が手渡されるはずです。 そこには、

以下のことに同意してこの見学に参加します。 というセンテンスから始まり、

食べ物を持ちこまない、セリの魚に触れない、フラッシュをたかない、台車に接触する、床が滑る、など危険があり万一それによって怪我をしても自己責任とする、等々、お互いにリスクや責任について「合意」しあう文章が並ぶはずです。

そして最後に署名欄があって、日付と署名をする。 そのうえで見学に臨むと・・・。

 

ビジネスも同じです。 何に合意してお互いの責任を果たすのか? その基盤無くして仕事は進みません。

雇用に関する Agreement

職務に関する Agreement

待遇、報酬に関する Agreement

機密保持に関する Agreement

等々、すべて合意形成の上に成り立つものです。 日本では自然に、空気のように、当たり前の様に思えることを明文化してお互いの認識レベルを合わせるんですね。

そんな観点から築地のケースを見ると、見学中止は甚だ残念な決断だと思います。 何か打つ手はあっただろうに・・、と。

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